「校友会誌」かまたの表題の由来 「かまた」一覧へ戻る
 本校校友会誌の表紙題字は人間国宝の芹澤介(セリザワ ケイスケ)先生の筆によるものです。
 先生は本校1・2・6号館東側に流れる呑川の上流約150mに架かる馬引橋近くに昭和9年から居を構えられ、 爾来50年にわたって蒲田の地で型絵染の創作活動に没頭されておられました。 昭和42年(1967年)10月発行の日本電子工学院研友会(校友会の前身の名称)会誌第2号以来表紙を飾っています。

 
明治36年(1895)静岡市に生まれる。
大正 5年(1916)東京高等工業学校図案科卒業。
大正14年(1926)朝鮮の旅に出て京城及ぴ慶州仏国を訪れる。 往路、船中にて「大調和」誌の口絵及柳宗悦氏の「工芸の道」に感動、生涯の一転機となる。
昭和 3年(1936)沖縄紅型に感銘を受ける。
昭和 6年(1931)雑誌「工芸」が創刊され、その表紙を一年間受持つ。 その型染布表紙は装幀の仕事への端緒となる。
昭和 7年(1932)国画会会員・川端康成「雪国」装幀。
昭和 9年(1934)東京蒲田町に移る。初めて仕事場に恵まれる。
昭和13年(1938)柳宗悦氏他民芸同人と共に沖縄に渡り紅型の技を受ける。
昭和20年(1945)型染めカレンダー創始。
昭和24年(1949)女子美術大学教授となる。
昭和31年(1956)型絵染で重要無形文化財保持者(人間国宝)の指定を受ける。
昭和38年(1963)大原美術館工芸館第二期の棟方・芹沢両館落成。
昭和41年(1966)スペインのバルセロナにあるカタルーニャ美術館を訪れ、永年の念願を果す。
その程復途上、エジプト、トルコおよび欧州各地を巡遊。紫綬褒章を受ける。
昭和51年(1976)文化功労者となる。フランスの国立グラン・バレ美術館において「芹沢介展」開催。
昭和58年(1983)フランス政府から芸術功労勲章を贈られる。
昭和59年(1984)4月5日、89歳で死去。
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